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それから次の旅路の準備をはじめた。
郵便番号のタトゥーと13カ国の紀行文を書こうと思う。
あたたかいコーヒーを飲みながら深く腰をおろし、iPhoneでグーグルマップを起動する。
僕の場合、その場所にある風景と地名と、身体それから内臓の記憶は密接にリンクしている。
簡単に言うと、マップに記された地名から、旅のルートを辿っていくと各々の記憶情報が頭の中で繋がっていくのである。
地図を見て身体と内臓からの応答をしばし待つ。
五分おきに休憩する。
腹を壊した。南京虫にかまれた。
美しく青い峰々をバスで越えた。
その先に小さな集落があった。そこで金をうばわれた。
晩飯はアボカドの刺身だった。醤油は4つ前のまちで買った。醤油はとびきりあまくて口に合わなかった。
など、
僕はこれやって記憶に深くアクセスするノーテーションを自然に身につけた。
24年の青春時代に幕を降ろそうと思う。
25歳は思いっきりニューになれるように。
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オタクにあこがれる。
自分にはオタク要素ってもんがまるでない。
とくに、今は愛して止まないものがないから、そんな感情を抱く。
熱しやすく冷めやすいタイプ。
テストの点数は70点ねらい。
でも4位か5位くらいには居たい笑
そう、自分のすぐ近くで「あなたはこういう人ですよ。」と関係を導いてくれる存在があるかどうかが大事だと思うんです。
人間そんなに器用じゃありませんからね。
活動が散在していて、好きなことと目的がわけわからなくなっている。こういうとき立ち止って関係を導いてくれる存在に話しかけたい。
自分がそこにいたという足跡も匂いもまるでない場所だけど、自分の存在を唯一証明できる、最近お引っ越しした母が住んでる新しい家。
なんとなく布団の感じや空気感が馴染まずソファでもぞもぞしちゃう夜。
地元に帰ったのに、実家はない。母にお邪魔しますと言った自分が、なんとなく成長したような、哀しいような。
ゆっくり旅に出たいなぁ〜。
もっと気温の高い国へ
yes
ふうを切ったばかりのスパイスの香りが雨露に溶けて、どこか遠くまで届けてくれればいいのに。
ぼろアパートの一室で、男は汗をかいてしっとりした身を、その身を刺すような刺激を求めていたのかもしれない。
ときは2018年夏。浪漫派の男たちにとって、クーラーの冷気はてんでだめだという論調が、日本中で巻き起こる。
やれ火をたけ!やれ薪をくべろ!
ほのおを絶やすな!肉を焼け!
そとは日本列島を覆う分厚い雨雲が、強烈なプレッシャーを地上に打ち付ける
northern ligths
あくる日もあくる日も近所の公園で、イチョウの木に登り、17時ごろに夕刊を配達するおっさんから買い物帰りの奥さんを標的としていたのである。
様々なものを上からエアーガンで打ちまくっていた。
だいたい小学三年生くらいだろう。
もちろん玉が命中すると、地上から大声をあげてこっぴどく怒られることもあったが、強面のとびのにいちゃんに命中したことがあった。
そのときはにいちゃんは何も言わなかったけど、
後日、同じ公園でベイブレードで遊んでいると、突然後ろから以前のにいちゃんに声をかけられた。
鳥の卵が現場から見えるけんついてこい。
突然声をかけられたことと、思っていたにいちゃんの太くて優しい声色にびっくりして、黙ってついて行ってみることになった。
にいちゃんが他の職人に軽く挨拶をする。コーヒーとタバコを嗜み腰を下ろす男性が下からこっちをジロジロみている。
煙と粉塵で粉っぽい建物を作る現場は、なんだか汚れていて
見てはいけない社会に触れてしまったような、でも足を引き返すわけにもいかず、階段を登るにいちゃんに黙ってついていく。
最上部はすごく風が心地よかった。迎えの木の枝と枝から、距離にしてだいたい3メートルくらい先に無機質な白い卵があった。
初めてみる野生の鳥の卵に、一同は興奮していた。仲間の1人が卵を取ろうと腕を伸ばす。
一番悪そうな別の仲間がなんと、ベイブレードを投げつけた。咄嗟の出来事だった。
1つの卵が枝からづり落ちて地面に叩きつけられた。お母さんが目玉焼きを作るときに卵を割る音が遠くで聞こえた。
地面で目玉焼きができたらいいね
そんな冗談が聞こえた。にいちゃんを無視して目玉焼きを確認しにいく。
でも、その卵はすでにその卵の期間を終えていた。
アスファルトに叩きつけられて粉々にちった卵の殻とベイブレード、目を瞑ったなんだか水っぽいヒヨコ。
見てはいけないものを見た気がした。
生命が始まる以前のヒヨコの亡骸。
目の前の状況から様々な言葉にならない感情が頭の中で輻輳した。言葉がでるわけがない。
罪を犯したことだけは理解していたようで、とにかくその場から走って逃げた。
それきり、そのにいちゃんを公園で見かけることはなくなった。
炊飯器
今日も朝から退屈な授業があるが、まあ夜な夜な筆をとるのもよかろう。いや、おやゆびのスワイプか。
大学に過度な期待を寄せていないし、いっそ辞めちまえ、と翌朝に開講日が迫る夜は考えるのである。
こんばんは。
釣りしてBBQして遊び回した身体は、筋肉痛と目の乾燥と微熱で、うんと無気力な状態となっています。
おまけに釣果なしということもあり、期限もやや斜めです。植木鉢で炭を焚いていたあたりが最高にバカっぽくて、今回の遠征のピークだったんでしょう。
無いものは作る、これが僕のモットーみたいですね。最近気がつきましたけど。
昨今は生活に必要なものは大抵揃っていますし、おひとり様的な寂寞を埋める、モノづくりに思いを込めれたらということで、
ことさらにこの言葉は強調しておきます。
無いものは作ればいいんです。
しかも自分の好きなことが生産行為につながればそりゃ最高じゃあないですか。
オドリダキがどうのこうのや、保温機能が物凄い高価な炊飯器はいらないんです。美味しい米と水のある場所の近くに住めば、フライパンでも感動するくらい美味い米が食えます。
世の中斜に構えてる僕が言うのもあれですが、
高価な炊飯器は上手く言えないけど、おぞましい得体の知れないナニカだと思います。
一度炊飯器を疑ってみませんか?
design
この記事は、安楽死を選んだ104歳の科学者へのインタビュー。
https://www.google.co.jp/amp/s/www.cnn.co.jp/amp/article/35118875.html
以下記事より抜粋
「フィールドワークが私の人生だった。だがもうフィールドへ出ることはできない」
「朝起きて、朝食を食べる。それから昼時までただ座っている。それから少し昼食を食べ、ただ座る。それが何の役に立つのか」
「死を怖いとは思わない、むしろ、その時が来たら歓迎する」
彼が生きた一世紀にはたくさんの意味があるはずです。
少なくとも、ぼくは彼の安楽死について考えさせられました。
いのちは尊い。しかし、そうやって決めつけるのは本当は良くないんだと思います。